石井地区の紹介 ~かつての関西一のマンモス小学校と、はなみずき・カメリア通り~
2024年6月3日 14時00分 石井地区は松山平野のほぼ中央に位置し、市の中心部から南へ2~4kmの距離にあります。昭和30年には就業者の約6割が農業で、辺りは田んぼが広がっていましたが、宅地化が進み、現在では人口は約7倍に増加しています。
石井地区の最初の小学校である石井小学校は、昭和50年には児童数が2,535人(学級数60)に達し、関西一のマンモス小学校になりました。これを解消するため、翌年、昭和51年に椿小学校が誕生しました。しかし、その後も児童数は増加しつづけ、昭和53年に再び県下一のマンモス校になりました。昭和54年に石井東小学校が2番目の分離校として誕生しましたが、その後も児童数が増加し続けたため、昭和63年に石井北小学校、平成3年に福音小学校が新設されました。
かつての田園風景から宅地化が進んでいった石井地区には、石井小学校の北側に東西に延びるカメリア通り、小野川に精農橋がかかった南北に走るはなみずき通りが通っています。まっすぐに伸びる2つの通りは車道と歩道が広く、桜、はなみずき、さるすべりなどさまざまな樹木を楽しむことができ、ウォーキングに最適です。カメリア通りには地域の方や小中学生が投句した俳句掲示板が出迎えてくれます。
通勤経路であるカメリア通りを運転するのが毎日の楽しみになっています。
≪石井小学校とカメリア通り≫
≪俳句掲示板≫